第17話   大正期の釣人 其の2    平成15年8月4日


酒田の釣り人は、鶴岡の平物一辺倒と違い、平物派
(黒鯛)と長物派(スズキ、ボラ)とに分かれていた。だから、鶴岡の釣り人からは何でも釣る酒田の釣り人を漁師と同じだと陰口をたたかれた。城下町と商人町の気風の違いである。

同じ庄内でも鶴岡と違って酒田の釣り人は合理的だ。
商人町だけに、良いと思ったらどんどんと新しいものを取り入れる。ある時、二歳セイゴ(スズキの子)が湧いた事があった。この釣をするのに突堤で、苦竹の長竿で釣っていた人たちを尻目に、苦竹の長竿に更に青竹を足して長くし大釣りした人が居た。誰もがもう少し竿が長ければ・・・と思っていた。極端な人は旗棹まで持ち出して竿を長くして釣ったと云う。釣れるからといって、玄人(名人クラス)、ベテランのみならず素人(初心者)も我も我もと集まった。玄人、ベテラン、素人の三者が入り乱れての釣であるから当然のように糸絡みなどの混乱が生じ喧嘩も起きた。このような状態を玄人たちは嫌った。

酒田のスズキ釣りで忘れてはならない酒田竿に車竿がある。それはそれまでの延竿を一変したリール竿である。これも、大正期に作られた傑作である。スズキを釣るに少しでも遠くを探った方が良いのは判った。しかし、どうやったら良いかを模索していた時にイトウを釣るための竿と横転リールを持っていた釣好きの素封家と教育関係者と釣り人がいた。其の釣り人たち数人集まり投げ釣りを実験した。意外と簡単に遠くに飛ばすことが出来た。翌日突堤に上がり釣ったところ大釣れした。

その後、苦竹のずんぐりむっくりした3.64m前後の少し固めの竿に外碍子製のガイドを付けて釣ったところ、それが又大釣れした。これを見ていた他の釣り人が皆、我も我もと買いに走ったという。その間スズキ用のウキも(桐製の酒田ウキ)考え出され、それが定着した。そのリール竿と横転リールはグラス製のリール竿とスピニングリールに押される昭和30年代後半頃まで使用されていた。